2013
日本現代芸術センター記念入選作家展 田中尚美展~時の足音~
2013年11月18日(月)~12月5日(木)神戸芸術センター3階
美術館 グランドサロン
Ⅰ 小さな命
甥の誕生、生後16時間
色々な願いを込めて
親から贈られる名前
生まれてくることは
家族への送り物
初夏。
種から芽を出した朝顔をスケッチしました。
季節、場所、環境が整えば、だれに教えられた訳でもなく
かたい種から、根は水を求めて地中へ、芽は光を求めて地上へ
左の二つは西洋の朝顔フライング・ソーサ、右は日本の朝顔、青雲。
夏の間、窓辺を飾っていた朝顔
種が沢山採れたので、また来年も会えます。
人と猫。
言葉は通じないけど、
ずっと一緒にいると、心つながるように思います。
優しく呼びかけるその声に
振り向く姿が嬉しそうに見えました。
草木が芽吹き
ざわざわと光に向かい育ち始める春
そんな植物とは対照的に
人も動物も、そのうららかな季節は
ぽかぽかとした暖かさに
うとうと眠くなってしまいます。
仲良しのノラたちは
浅い眠りに 何の夢を見ているのでしょうか?
こんな風に寄り添って
心安らかに眠れる
互いの存在が互いの安心である
そんな関係に憧れます。
五月、門司港のスケッチ
歩きながらスケッチを探していると
線路の終わりに目が留まりました。
九州の端っこなので、どこまで持続くような線路の
終わりと始まりがあります。沢山の電車の停車場も。
まだ枯草の残る使われていない古い線路に若草が」生え始めていました。
苔色になった枕木の上に壊れたコーンや石が積んであります。
誰の仕業かな」?子供かな
使われていなかった線路。今は観光トロッコが走っています。
五月。門司港・風師にある日本セメントの廃工をスケッチしました。
画面に入りきれなかったので、次のページを半分に破り曲げて、ワイドサイズに。
無計画に建て増しされたような不思議な建物群に
まだ工場が動いていた頃に人が植えただろう植物の新緑が、今も息づいていました。
古い建物の肌とさびた鉄色が生い茂る緑に飲み込まれそう。
全体で一つの生き物のよう。
鳥が何度も同じルートを通っては見晴らしの良い場所にとまる。
もうすぐ雨が降る。すぐ近くの山が青く霞む。
誰も手を掛けていないはずなのに、薔薇が綺麗に咲杯いていました。
人がいたんだなぁ。不思議な感覚。
その後、長い間廃工としてそこにあったものが、整地され平らになりました。
アトリエにこの絵を掛けていたら、来られたお客様の中に、祖父がここに勤めていて、実家がすぐのところにあり とても懐かしいと話してくださった方がいました。
小さなお子さんと一緒に来られていたその方の、絵を眺める瞳の向こうに暖かく流れる時間を感じました。
良く晴れた五月、屋久島で出会った風景
青々とした新芽の濃い空気の中
屋久杉を切り出し運んでいたトロッコでしょうか
古いレールの隅に赤く錆びた列車の一部がありました。
近づいてよく見ると、その上に植物が生えていました。
深い緑の中で、役割を終え錆び行くトロッコは、硬質な機械の姿ではなく、新しい命の台木となって何か優しい顔をしていました。
屋久杉は何百、何千という植物が着生している命の宿り木で
何千年と育つ間には、台木になっていた木が枯れ、上に着生していた木は残りトンネル状になっている屋久杉もあります。
不安定な場所に育っているので、何年か後には倒れてしまうかもしれません。
でも、もしかしたら、その小さな杉が大きく育ち、トロッコは地に帰り
何千年か経った頃には屋久杉のように大きく育っているかもしれません。
夏、暑さをしのぎに滝に遊びに行った時に見た風景
車を駐車して、歩いて向かっている時は
涼しくなっていく空気、だんだん近づいてくる滝の気配に
気を取られていましたが、滝に着いて振り返ると
自分たちが歩いてきた道、雑木林には
木漏れ日がまぶしく差し込んでいて
とても綺麗でした。
滝壺に足を浸した場所からふと見上げると
苔むした岩場にまた違う光が差していました。
光や反射した緑が美しく そのひんやりとした空気、
光の粒子を描きたいと思いました。
美しい自然に触れると何か敬虔な気持ちになります。
黒崎 竜王の滝
冬が来る前に色付く木々
色とりどりの紅葉にばかり目がいってしまうのですが、日が沈む前のわずかな時間夕日がライトのように新しい芽を照らしていて、はっとしました。
落ちた葉は土に還り、新しく芽吹く養分になります。
当たり前に繰り返されている森の営み
自然のそれは、人工的に手を加えたサイクルよりもはるかに豊かに育ちます。
昆虫・植物・動物それぞれがつながり合い、バランスを保ち巡っています。
深くなる夜の色と鮮やかな色彩に廻る命を感じました。
京都 大原 三千院
Ⅲ 心の色 春が来て巡りゆく
先が見えぬ程に
長く続く花の道
こぼれ落ちるほど
花開いた桜は希望
幹は、地中深くから希望をくみあげ、ささえ、空に放つ柱
あふれる思いの分だけの不安が
光をさえぎり影を落とす
でもそれはごく自然な事
真っすぐな思いにさす影は不安でさえも美しい
ただ、真っすぐな想い、希望と不安を抱いてその間に立つ人
春先のまだ冷たい風
あたたかくふりそそぐ光
幸福の予感
福岡県 浮羽郡 2㎞ほど続く桜の並木道
人の人生は先が見えず続く長い道で、歩んでいく途中には、満開の桜並木のような時もあれば、葉も花も落とし、枯れたように思える時もあります。
希望を持ち歩くからこそ、足元には不安が現れます。歩んでいる本人は気づきにくいけれど、遠くから見る歩き続けるその姿は、希望も不安もひとつながりの美しいものだと思います。
季節は巡り、必ずまた春が来るので あまり不安に思わずに、歩いていっていいよ。という気持で描きました。
「想い」の本画を描く前にモデルさんをスケッチしたものです。
目に宿る心の内を捉えたい
瞳と肌の感じに重きを置いて、そのほかはあっさりと描いています。
そばで見ると、光を透かすほどやわらかな花びら。
葉よりも先に一斉に咲く桜は
咲き始めが色が濃く
日がたつにつれ、淡くなっていきます。
冬から春へ
早く暖かくなってほしいけれど、
桜のころは、花冷えで長く花が見れるのも
うれしくあります。
子供の頃に桜が沢山ある所で育ったせいか、花は桜が一番好きです。この年、春の京都でいろいろな桜を見ました。
すり鉢状になった地形で視界が桜で覆い尽くされる 原谷苑
可憐な白の八重桜等めずらしい桜がある 梅宮大社
白壁の向こうから枝垂桜が風に揺れる 石庭の龍安寺など
どれも素晴らしく美しかったです。
沢山の桜を見惚れていたんですが
よくよく考えると 身近にあって大好きな花、桜を一度も描いたことがありませんでした。
描いてみようと思って見つめ直してみると、その咲きこぼれるような美しさを描ける気がしません。
龍安寺の奥の小道があって
そこで桜の絨毯に逢いました。
花は散るけれど
ふかふかの苔の上にピンクの花びらが降り積もり
優しい表情を見せていました。
よく見るとその中に新しい芽が出ていました。
そうやって春は巡っていきます。
これが初めて描いた桜の絵。
これからきっと 何枚も何枚も描いていくんだと思います。
芸術センター記念入選作家展 田中尚美展「時の足音」によせて
鉱石を砕いた岩絵の具の色の美しさ、先人たちの描いた絵の奥深さに惹かれ、日本画をはじめ5年になります。作品は、初めから意として描く時と、何気なく描き始めなぜそのモチーフに惹かれたのか、何をそれに重ねてみているのか、描くうちに見えてくる時があります。屋久島で出会った風景「時を刻む」がそうでした。深い緑の中で役割を終え錆び行くトロッコは硬質な機械の姿ではなく、何か優しい顔をしていました。始まりは終わりで、終わるからまた始まる。枯れては芽吹き途切れることなく続くリレー。大きなサイクルの中で自然も人も生きています。ひとつひとつは小さいけれど、限られた時間の中にあるからこその、力強い輝きを感じます。そんな、人や物の歩んできた時の流れや、命の輝きを描いていけたらと思います。
2013.11 吉日 田中尚美